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その 1-2



 
              柔道と私      

                            大塚 裕蔵 幹事長

  柔道に憧れたのは小学生の頃、姿三四郎の映画や本を見てからでした。
振り返ると、あれから半世紀になるが、姿三四郎のモデルになった実在人物で、
講道館の四天王の一人と言われた人物「西郷四郎」のことは知りませんでした。

 実在人物、西郷四郎(1866〜1922)
会津若松市講道館の大家、得意技“山嵐”を生み出す。

 講道館創設者、嘉納治五郎師範の協力者として活躍。中国、朝鮮に赴く。
晩年、療養の為、尾道で約2年…療養するが、この地で亡くなる。享年57歳。
国宝浄土時(尾道市)の横に、西郷四郎の石碑が建っています。            ↓



 西郷四郎先生(1866.3.20生)は、日本柔道界の奇才で、嘉納治五郎師範が講道館を創設した頃、
それを助けて日本柔道を大成した人です。
 小柄な体躯でしたが、その得意技“山嵐”の大技は天下無敵の称がありました。
 小説映画で有名な「姿三四郎」は先生がモデルでした。
 大正9年、病気療養のため尾道に来て、この上の吉祥坊(現在は廃寺)に仮寓し養生に努めていましたが、
大正11年12月23日57才で亡くなられました。

 昭和46年晩秋に「西郷四郎先生50回忌追悼法要」が執り行なわれる。



 写真図の海沿いに国道2号線と山陽本線が並んで走っています。
 川のようですが、尾道水道です。
 狭い海峡で汐の流れが速いため、初めて舟を接岸する際には、汐の流れを知っていない船長では接岸できないことがあります。
 景色は最高です。年中、何時行ってもよい処です。




 これが縁で、今日では“尾道かもめ柔道クラブ”と“会津若松市”と両市に於いて3年に一回、
“西郷四郎杯交流試合”が行われています。

 武道の精神をもって、このような歴史を大切にする交流試合が、今も行われている事が輝いて見えます。
 この西郷四郎と同じ 会津若松出身の「池上四郎(1857〜1929)」は大正2年から大正12年まで、
大阪市長を務めました。又、秋篠宮紀子妃の祖々父にあたります。

 現在、世の中の移り変わりが激しく、精神の無い時代ですが、国技の相撲、柔道、剣道の精神は、
今も昔も変わらず生き生きしたいものですね。

西郷、池上 両氏も、幼い頃、戌辰戦争を経験。 斗南へ流された苦労は、いかにあったか。
人生の辛苦を しのいで常に輝いて、生きて来たことでしょう。


◇尾道の食べ処
       尾道駅前 朝日屋食堂(時間制)
             六べえ (時間制)
              保宏
              天狗寿司

◇宿泊施設  
       尾道駅前 グリーンヒル・ホテル
              西山 別館
              西山 本館


<若かりし頃の、「西郷四郎」氏の肖像>
  
(柔道百年の歴史 ・講談社より)

         
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